そして卒業制作へ。


最初期のビデオコンテ(EDのみ)

そうしてオリジナル一次創作と共にトランスフォーマーとかに夢中になっていた自分は大学4年になりました。2009年度のことです。「就活って何すんの?とりあえずポートフォリオってのを作んの?」と、漠然と就職活動をする一方で、卒業制作もはじまります。

そうなれば、やっぱり大学時代の集大成として、自創作の「古代戦殻ジェノサイダー」を映像化したい…とまず考えます。

アニメのオープニング・エンディングは脳内で妄想こそすれども実際に作ったのは1度あるかないかでしたし、丁度いい機会だと思いました。
オープニング・エンディングに提供クレジットとか付けて、というのも学生時代に企んでいたネタでした。

そしてもう一つ、やりたかった最大のネタがビデオテープ特有の劣化映像でした。

 

 

かなり前の項目から度々動画共有サイトの名を出していますが、自分が高校生の頃にYOUTUBEが出来、大学に入った頃(2006年頃)にニコニコ動画が出来ました。後者は当初アクセス制限をしていたのを覚えてます。

ご他聞に漏れず、自分もまたMAD動画などをゲラゲラ笑って観ていたわけですが、時折アップロードされる「古いアニメ本放送時のCM」「時計や提供クレジット、ニュース速報の入った本放送時の貴重な映像」そして「闇に葬られたハズの幻の映像(例:某12話)といった動画が大好きでした。

本放送時に視聴者はどういった面持ちでこの番組を観ていたのだろう?当時の世相は?当時の流行は?アップロードした人なんでこんな物を録画していたのか?Uマチックの時代に家庭用ビデオを持ってたアップロード主の正体は?なんでこんなヤバい代物が流出したのだろうか?あらゆる想像が掻き立てられます。
(もちろん、大半は著作権的に黒い物なわけですが…)

この時期に、レンタルビデオ店でもVHSとDVDの入れ替えがはじまります。丁度「ビデオならPCにダビングできる」と、シュラトやテッカマンブレードをレンタルしてはPCにダビングしていた自分にとって、高画質で観れる代償に手元に動画を残せないのは一長一短でした。渋谷のTSUTAYAでミンキーモモを借りたら、数週間後に中古ワゴンに入ってたのは驚きました(慌てて数本確保しましたが)。こうして比較的メジャーな作品ですら、古い&DVD化していないというだけで一時的・または現在に至るまでレンタルビデオ店から姿を消し、それを目の当たりにした自分は「ああもうマジ現代はクソだわ生まれてくるのが遅かったわ」と鬱憤を募らせていました。

テレビ番組もデジタルでの高画質録画が気軽に出来るようになります。歴史的事件や事故の映像が鮮明に残るようになると、逆に自分は衝撃的な映像もピンと来なくなります(勿論、鮮明すぎて逆に怖い物も増えてくるんですが)。不鮮明な方が想像が掻き立てられる、というのもありますし、実際にそういた不鮮明さを活かしたホラー映画「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」という映画も1999年に公開されて話題になっていました。この作品と共にPOVというジャンルが出来たんですよね。

そんなわけで、ビデオテープという物全体に対する郷愁も募っていたので、ふと思いついたんです。

「そーだ、アニメのOPEDを制作して、わざとビデオテープでノイズを加えて、ニュース速報・時計・提供クレジット・CMの切れ端を入れて、"本放送のTVアニメ番組を録画した映像"を作ろう」と…


頓挫からレギオスへ


2009.11/14

というわけで、早速ビデオコンテを作成しつつ、音楽の使用許諾を楽曲権利者にお願いします。

卒業制作を始める前から、脳内で自創作アニメのOPやEDはしょっちゅう夢想していたので、インディーズで活躍されてた方に連絡を入れてみたんです。で、まずエンディングの「パッションフラワー」の作曲者であるR&T factry様からは使用を快諾していただきましてヒャッホウとか言ってたんですが、OPの権利者の方から返信が来ねえ…。ダメなら断って頂ければ諦めるんですが、ひょっとしたら検討中かも知れないし…と待てども返事が来ない。fri●さいde

返事待ちによる時間のロスが痛く、「このスケジュールだと厳しいな…」という事情もあり、結局「古代戦殻ジェノサイダー」のアニメ化は諦めて、「特装司令レギオス」に切り替える事にしました。

返事ですか?結局来ませんでしたよ。ふふふ…俺は忘れんぞ

  

卒業制作でヒイコラ言ってる最中に「就活もしといてね」と先生方から漠然と言われ、漠然とやってたけれど当然良い結果も返ってこないわ、学校へ作画しに行くと何故か共用の鉛筆削りを先に陣取って独占してる輩が同ゼミに居たり、まあ色々ダークマターが溜まりつつ、(GUCHIを書きはじめるととんでもない量になる上に不毛にも程があるので自粛しますが)それでも必死に作りました。最後の方は朦朧とする意識の中で「動画を1枚割るのに15分だから今日の朝までに10枚描けるのかな~」とか逆算していた記憶があります。


…今でこそ「昔ぼくが作ったアニメです!」とそれなりに胸を張って出してる感がありますが、本当に…本当はもっと、グリグリ動いてもっと動画枚数を描いてフルアニメでかっこよくやりたかったんですよ。上手く行ってない部分も大体は「ちがーう!もうちょっとこうなってああなってかっこいいはずなんだよー!!」と顔を覆ってたんですけど、作り直す時間なんて当然ありませんでしたし。結局、学生時代の経験不足が最後の最後に露呈してする結果になってしまったわけです。
学校のカリキュラムにもうちょっとアニメの自由制作をする機会を入れておいてくれよって当時も今も思ってるわけですけど


でも、フルフェイス型のヘルメットにして顔が隠れるデザインにしたのは地味に成功だったと思います。作画の負担が大幅に減りました。

 
前々の項目から書いてますけど、この時期は本当に絵柄に迷ってましたからね。
人間の顔の描き方が定まってなくて我ながら「あー」って思ってましたもの。

その後、大学での卒業制作展が開催されました。

当然ながら、アニメーション学科は映像上映がメインになるので形のある展示物があまりありません。
「なんでもいいから出せる人は出してくれ!」ということで、自分はレギオスのポスターと、制作に使ったベータのビデオデッキ(EDV-6000)を展示しました。家族で「ウチのビデオデッキが"展示"されるとはなぁ」とか感慨深く言ってた記憶があります。この頃はまだデッキを展示しただけで、実際に再生させたりはしてませんでした。

このレギオスのポスター、右腕のパーツが歪んでたりとか目に付く部分はありますが、実は結構気に入ってます。(これが本当の自画自賛)
構図がシンプルなので描き易かったですし。
原画はコチラ

当時は横浜(の海から程遠いあざみ野)に住んでいて、同じ横浜市の印刷会社に依頼して印刷してもらった物です。

印刷できたとの報せを受けて取りに行ったら、印刷会社さんのテーブルに表向きに平置きされててとんでもなく恥ずかしかった記憶があります。

こうして様々な未練を引きずりつつ、大学を卒業しました…


 

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